新しいのぼり旗

 親鸞仏教センター訳現代語歎異抄を読んでいる。対話形式で訳を検討していく方式は分かりやすく面白い。
 例えば第1章の始めは、「人間の思慮を超えた阿弥陀の本願の大いなるはたらきにまるごと救われて、新しい生活を獲得できると自覚して、本願に従おうというこころが湧き起こるとき、迷い多きこの身のままに、阿弥陀の無限なる慈悲に包まれて、不動の精神的大地が与えられるのである。」となっている。
 このような解説本を読んでいるとその都度疑問も出てくる。「本願に従おうというこころが湧き起こるとき、迷い多きこの身のままに…」
 『念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり。』の訳であるが、そのまま受取ったときはそれほど疑問はなかったが、討論の中で「迷い多きこの身のままに」とあえて付けたいと言われた。「そうでないと、浄土真宗の煩悩のままで救われるという味わいが出ないと思います。」と言うことである。
 そういうことになると、自分なんかは、「迷い多きこの身のゆえに、念仏もうさんとおもいたつこころもおこるのではないか」などと思ってしまうのである。現実にはこちらのほうがあっているかも知れない。
 「迷い多き私が、何故かたまたま念仏を申そうかと思ってしまったとき、捨てないで必ずおさめ取るという阿弥陀様のご利益にあずかれるのです。」
 ご縁で気づいた私訳のほうが自分はありがたく感じてしまいました。