首相が「株屋は信用されない。」「株をやっていると田舎では怪しい。」などと発言した。この発言が証券会社の営業にどう響くかは分からないが、不用意なというか、首相の職業観が出ている発言だと思う。暗に株屋はあくどく儲けている、もっというと騙し寸前のやり方で儲けているのではないか、と首相も思っているのだろう。
 松井証券の社長は「世間一般の人たちが持つ株に対する意識を、ああいう形で表現されたと思う。言葉のあやではないか」と擁護するようなコメントを漏らしたが、心ある社員たちは不快感を覚える可能性が強い。
 『世間一般の人たちが持つ株に対する意識』と認めてしまったら、あまりにも寂しい。株屋から証券会社に発展する過程で、いかに信用してもらうかについては最重要課題であったであろう。野村證券の損失補填とか、信用を失墜することも多く起こったが、今も営業している以上、前線ではいかに信用してもらえるか一生懸命がんばっているのだろう。
 それはそれとして、最近、一般のお客様の所に折衝にいく機会が多くなった。それとともに、いわれのない断りに会うことも日に1件くらいある。別に売り込んでいるわけでもないのに、どうして会うことすら拒否するのだろう。しかも、留守の時はまた来るから伝えといてくださいと言伝を頼むと、そういうところに限って会いもせずに断る。こちらからすると失礼極まりないのだが、こっちにはこっちの、あっちにはあっちの都合があるのだ。でも、話を聞かなければ始まらない。
 そこで、思ったのだが、仏壇屋という職業がネックになっている可能性がある。特に衆生でがんばって生きておられる、自力の方々にその傾向がある。仏壇屋をさげすむ気持ちが見えるのである。あとは相手との損得勘定、経済の論理である。初対面でおいしい話があるはずがない。なのに、相手は自分だけ損をすると思っているようでもある。
 今日などは、うちに仕事をくれれば良いが、それがないなら用はないと言われた。そのような仕事の進め方で、ちゃんとお客さんが得られているのか、こっちが心配になってしまう。力とコネのある相手には擦り寄っていく輩に違いない。(ちょっと決め付け。そう思わないとやっていけない。絶対に力をつけて、見返せるようになろうなどと思わないようにしよう)
 それにしても仏法の世界は本当にすばらしい。そんなこんなでお寺さんに納品にいったら心が洗われた感じがした。今まで、ちょっと良い世界でばかりでお仕事をさせていただいていたので、少しは辛い修行もしなければならないか。でも、どうしたら、お互いが感謝できる世界が創れるのだろう。
 本当にこの経済至上主義の世界は醜く、傷つけあって生きている可哀想な世界だと思う。そんなお付き合いは最低限にしたいものだ。(三毒の煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)がいっぱい貯まっていくので、今日の空のように心晴れ晴れとは行きません。)