縁あって週刊ポストを手に入れたのだが、そこに香山リカ氏が書評を書いている。「この世のすべては私のもの 躁病者、初めての衝撃手記!」加藤達夫著についてのものです。それが少し気になってしまうのです。引用します。
 すごい。精神科医になってもう四半世紀近くたったが、躁病の人が書いた本をはじめて読んだ。こんな本は、世界にも類を見ないのではないだろうか。
 ……と興奮を抑えきれないのであるが、ちょっとおさらいをしておこう。うつ病にやたら注目が集まっている昨今だが、うつ病にはうつ病単独が出現するタイプと躁うつタイプがある。後者は現在は「双極性感情障害」と呼ばれているのだが、実はこれが増えつつあるのではないか、というのが最近の精神科医たちの見解だ。たとえば、「仕事はダメだがレジャーはOK」という新型うつの人も、レジャーの時には軽い躁状態が生じている可能性もある。この躁状態がひどくなると、本人は気分も軽く気も大きくなり、アイディアがポンポンと浮かび、考えたことはすべて実現できるような気分になる。もちろん行動的になって不眠不休で仕事をしたり遊んだりする人もいる。
 しかし、意外なことに躁病者の手記というのはこれまでほとんどなかった。なぜなら、彼らは「書きたい!」という気にはなるのだが、書くより思考のスピードが速いものだから文章が支離滅裂になってしまうからだ。その時期の記憶がない、という人も多い。

 この本の人の話はかなり強烈ということで、読みようによっては悲惨な話でもあるとのことだが、まわりの人たちに救われているという。それほどの状況なので躁病なのであろう。しかし、引用部の説明をよく見ると、95%くらい自分の一時期の状態に当てはまる。アイディアがポンポンと浮かび、考えたことはすべて実現できるような気分になり、行動的になって不眠不休で仕事をしたり遊んだりできる。今は完全な躁状態なのである。
 40歳を過ぎてからは、今までの経験上、バイオリズム的な躁うつ状態があるのはわかってきたが、それが医学的にどれほどのものかは自分では判断できない。自分の手帳には◎と▲の印を付けて、その期間を記入できるようになった。20代の前半にいつも元気の良い先輩に「落ち込むことは無いんですか?」と聞いたら、「コンスタント。」という答えが返ってきた。それ以来40歳になるまで、コンスタントでなければ成らないような気になっていたが、それは個々の特性だと気づいた。それに気づいて以来、気が落ち込んでいるときには無理な判断や行動をしないように極力努めるようにしている。そうしたら、だんだん良い期間が長くなってきた気もしている。
 あれもやりたい、これもやりたいと思うことはいつものことだが、これも縁があったときに一気にやることが効果的だと思えるようにもなってきた。
 人間の心の問題も含めると、幸福になる方法はいくつかあって、「頑張れ!」も間違いなら「頑張るな!」も間違いであると思う。その人が「幸せだなぁ」と思える状況を、早く見つけて、思考法を訓練するとか、環境を整備するとか、宗教の気分(今の法話は思考法の画一的訓練だと思う)だけでなく、幸福になる実践的方法を早く理論付けて説明できるようにしてほしい。もし、自分が宗教の学校に入ったら、その分野で研究したいと思うのだが…。
 躁病者の傾向に漏れず、「書きたい!」という気にはなるのだが、書くより思考のスピードが速いものだから文章が支離滅裂になってしまった。記憶はかろうじてまだあると思う。