仏法にあまり関係ないかも知れませんが、ちょっと思ったことを。
 昨日、車の修理に行ってこことここがおかしいと言うと、対応した人が長々と説明し始めた。ここを直してももしかすると数ヶ月で同じことが起こるかも知れません。その時に今回の修理が失敗だったというクレームは止めて欲しいというような内容であった。こちらは直してもらいに来ているので、説明はどうでもいいのです。「今日中にできますか?」と聞いたら「できます」という答えだったので、家内の車で家に帰ってきました。しばらくすると、修理屋さんから、部品が明日にならないと入らないという電話が入りました。その時も、入らない理由から説明が始まりました。こちらは、そんなことはどうでもいいのです。「代車はありますか?」と聞いたら「もちろん」と大きな声での答え。ちょっと違うだろ!と心の中で叫びました。そこで胸を張るなよ。代車の提案はそっちがすることでしょう。しかも2度手間になることに気を掛けなければなりません。それでも、見積もりの金額を36000円と聞いて、「それでお願いします」ということになりました。
 日は変わって今日の16時頃修理終了の連絡がありました。会社の帰りに取りに行くと修理代は36700円。たかが700円かも知れませんが、あらかじめ36000円を用意していたので、気持ちを押さえながら1000円を足して机の上に置きました。担当の方は、領収書を用意して机の上のお金を見て、「多分、37000円ですね」って。多分って何?もともと36000円の見積もりで用意した金額に驚きと怒りを押さえて1000円足したのに、数えもせずに多分とは。あきれて唸ってしまいました。
 この担当者には、まったく悪気はありません。恐縮と申し訳ないという気持ちが空回りしているような感じです。しかし、知らず知らずのひと言ひと言がお客様に失礼な印象を与えている可能性があることを、身をもって体験させていただきました。そして、若いときなら、「他で相見積もりします」と切れてしまったでしょうが、年を重ねるということは良いも悪いもそんなエネルギーすら無くなって、諦めの境地に達することができつつあるようです。営業の勉強をさせてもらったと思えば、36700円は安かったかも知れません。