以前2006年5月13日の新聞に鈴木正三のことが取り上げられたときに、古本屋で「今に生きる―鈴木正三―その足跡」という本を手に入れたので、これから読んで勉強しますと書いた記憶がありますが、実際にはどうもご縁が無かったようで、そのまま積読になってしまっていました。
 9年ほど前に「歎異抄」を読みますと宣言してから、1年くらい縁がなく、あの短い文章が読めませんでした。本当に本との出会いというものは、不思議なものです。今回の不況で、鈴木正三の功績が見直され、話題になることで、もう一度その本を引っ張り出して読もうという気になりました。
 鈴木正三は1579-1655年を生きた人ですが、読んで知るにつれて、いままで何でこんなすごい人を知らなかったんだろうと自分の情報入手下手に嫌気がさしてくるようでした。このブログは、どこの宗派にも属さずに、あえて真宗の念仏の効用を何とか目に見える形で伝えようとか、社会的な生活と宗教的な真理を矛盾無く納得できるようにしようとか、何はともあれ布教が大事だとか、今までの短い経験から感じたり思ったりしていることを、こころの寺という形で発進しています。
 しかし、そんなことは400年前に考え、考えるだけでなく実践した人がいて、その人こそが鈴木正三、その人だったのです。触れるご縁があってから、3年近くそんなことも知らずに過ごしていた。これだから、情報・知識は必要なものを早く見つけて活用しないといけません。
 鈴木正三という人は武士でしたが、42歳で出家し、どの宗派、どの教団にも属さず、自由な立場で当時の教団や僧侶の在り方を鋭く批判し、民衆のために、実際の生活に役立つ新しい仏教の教えを説いた人です。
 晩年の正三は、山林に引きこもって自分だけ悟ったように取り澄ましていたのでは役に立たないと考え、江戸の市中に住み、伝道に当たった。
 正三の出家の意味は、家を出るのではなくて、家に出たのであって、このことは在家仏教を説いたのであり、万民に役立つ仏教の教えを説くことに力を尽くした。
 正三の仏教の教えは、「仏教が現実の社会に生きて行く指針となるには、社会から遊離するような教えであってはならないとし、生きて行く指導原理となるものでなくてはならないとした。ついては、何人としても強力な精神をもたなくてはならないとし、ともすれば仏教が隠遁的に陥るのに対して、仏法は世法、すなわち現実の世の中に役立つものとしなくてはならない」とした。
 正三は、念仏には勇猛心がなくてはならないとしたことから、その名号の代わりに「南無大強精進勇猛仏」と書いて、念仏をするものに授けたと言われる。
 いずれの宗旨にも属さなかった正三の行動は曹洞禅に近かったが、念仏門の教えにも共感をもち、独自の念仏禅ともいうべきものを力説している。こうしたことは特定の教団に身を置いていたら、到底許されることではなかった。
 これだけを見ても、自らの信ずるところを大胆に行い、自由に説けたのは、出家はしたが得度をしていなかったからである。これこそが、非僧非俗といえるし、やっとその意味がわかった。非僧非俗の意義は、「自らの信ずるところを大胆に行い、自由に説ける」ことである。
 鈴木正三についての論文は、興味深く、自分にとっては参考になるものも多い。今後も注目である。