「なぜ、念仏なのか」と言うことが課題であると問題提起しましたが、同じ冊子のp.15に親鸞聖人は『なぜ、念仏なのか』について、その念仏の法が『時機相応の法なれば』と、繰り返し語られています」。とありました。このこと自体はよく分からないのですが、同じような疑問は昔から当然あったんだと納得した次第。それと共に、もっともっと文献を当たらないと、以前誰かがつまづき、乗り越えた経験が語られているのに、それを無駄にしてしまうと思いました。早く心の問題の仏教的(真宗的)解法エッセンスを纏め上げる事業を起こして欲しいと思うのは私だけでしょうか。
 冊子のそのあとには、
「私たちは誰でも『時機的存在』なのです。そのため、その時代社会がどういう問題を抱えているのかによって、私たち一人ひとりが決定的な影響を受けることになります。だから、教法もその時機に相応するのか、しないのかによって、私たち一人ひとりが救われるのか、救われないかを左右します」。と書いてありました。
 時機に相応する教法を見出せないと、その時代の人たちは救われない。その意味で、今までの教法でいいのかを常に考えないといけないのでしょう。まったく同感です。
 上記のことを講演したのは、竹中智秀(前・大谷専修学院長)師です。直接お会いして法話を聞けなかったことが残念で仕方ありません。