今年の年賀状に、中日新聞の「親鸞」が面白い、と書かれているものがありました。その時点よりも面白くなってきています。今日の会話文で「仏とはなにか」と疑問をもった範宴に音覚法印が、
 「そなたは大変なところに足をふみこもうとしておる。この比叡の山に入って仏門の修行をする者たちは、決してそういう疑問をもたないものだ。最初からわかりきったこととして、考えてみようともしない。それがふつうじゃ」
 音覚法印は腕組みして、ひとりごとのようにつぶやいた。
 「正直にいって、このわしもそうであった。長い研学修行のあいだに、ときおりふと、仏とはなにか、と問う声がきこえてきたことがある。しかし―」
 自分はその声を無視した、と音覚法印はいった。つきつめた表情だった。
 「しかし、そういうとき、わしはわざときこえないふりをして、そんな疑問を頭からふりはらいつつ今日まですごしてきたのだ。なぜかといえば、そのような問いに正面からむきあえば、厄介なことになるような予感があったからじゃ。比叡山の僧が、仏とはなにか、などときけば笑われるだけであろう。良禅ならずとも、狂うたと思いこむ者もおるやもしれぬ」
 だが、と音覚法印は言葉をきって、しばらくだまっていた。やがて範宴の肩に手をおくと、おだやかな表情にもどっていった。
 「吉水で念仏を説いている法然房は、念仏をする者は痴愚になれ、と弟子たちに教えているという。このお山にいたころ、知恵第一の法然房、とうたわれた天下の秀才じゃ。その男が愚者になれとは、どういうことか。たぶん、無学がよい、無智なほうがよいというておるのではあるまい。どうじゃ」
 「そのように思います」
 範宴はふだん無口な音覚法印の言葉に、意外な気持ちを抱きながらうなずいた。
 「わたくしは吉水の草庵で、知恵を捨てよ、と説かれるのをききました。しかし―」
 範宴はいま自分の頭のなかが、冬の青空のようにすっきりと澄みわたっているのを感じた。

 太文字が1/17のほぼ一日分の引用です。まとめることができませんでしたので、誤解がないよう引用させていただきました。
 自分は浄土宗のお坊さんから、観仏の修行は、あるところまでいったら見えたと言って、師匠にどう見えたかと問われれば、このように見えたという、解答マニュアルがあって兄弟子に取り入れば、要領よく解答例を教えてもらえて修行を早く終えることができる、気に入られていない修行僧は解答を教えてもらえずいつまでも続けることになる、というような話を聞いたことがあります。それを聞いてまるで大学の試験みたいだなと感じたことを覚えています。
 そんな、なあなあの仏道では許せない、真剣な修行僧がどの時代にも少なからずいたのでしょう。五木寛之の『親鸞』、今後の展開から目が離せません。