去る9/14(日)岡崎市美術博物館で「当麻曼荼羅」の絵解き実演があるということで、整理券配布の1時間前からならんで拝見させてもらった。14:00から約90分の絵解きということでしたが、前半45分は「当麻曼荼羅」のいわれを説明、絵解きもちょっとおかしな解説で、自分が見たところでは失敗の部類に入るのではというものであった。
 まず、観客が違う。お寺に来るような人たちではなく、毎月文化講演会を聴く一環として、絵解きを聴きにきた、そんな衆生である。しかし、これはある意味チャンスで、辻説法の様相である。ここで感動させれば、思わぬ念仏者が生まれるやも知れぬ、その場所で扱けた。目的がわからなかった。少なくとも絵解きは布教である。念仏の教えを説かねば意味がないし、それに共感してもらえなければ失敗であろう。
 講演会というものは、終わると拍手が出るものである。半分以上の時間寝ていた観客が拍手していた。終わってありがとうというところか。拍手には、義理と心からのと2種類あることを知って、気をつけねばと思った次第である。
 帰りに「あんまり」だったので、これを「絵解き」と知らしめられては困る、と言いたかったが、そのようなことはどの立場で言えるのだろうか、と思いとどまった。
 自分も「絵解き」と称してかなり原型を崩している。しかし、そこには、聴衆にわかってもらいたい、このことだけは伝えたいという思いが入っている。
 今回の絵解き実演からは、そのような思いが感じられなかった。
 仏法の話をする者は、お互いにもっともっと精進しなければ、仏法の話はやっぱりつまらないと思われたら、布教の足を引っ張ることにもなりかねない。これだけりっぱな舞台を頂けたのにもったいないことである。

 未だに悔しいので、ここに書いて、ちょっと鬱憤を晴らしてしまいました。

 来年の3月には「善光寺絵伝」の絵解きがあるそうなので、それを楽しみにしていましょう。