『水谷大成述 浄土宗五重講録』を読んでいます。
 昭和46年10月、魚津・西願寺に於ける5日間の勧誡の記録ということです。
 いいですね。とても参考になります。37年も前の口述ですが、色あせていません。自分の考えをはっきり言うのも説得力があります。時代の流れに驚くことも多くあります。
『柏崎でお亡くなりになりました山崎弁栄上人。新宗義をお立てになりましたけれども、時代的に金持ちは遊んで居ますから、金持ちに遊ばしておいてはならんと云うので、先づ滋賀県あたりの商人の大金持ちに、おすすめになった。時代的に浄土教義化しようとなされたのです。4月7日は法然上人の御誕生の聖日です。今年(昭和46年)の4月7日、三縁山、芝増上寺で御往生なされました椎尾弁匡大僧正様は、宗門にとっても大先輩ですが、共生(ともいき)と云って、共生の道を一代お説きになったのも、時代を生かさんが為の新教義であります。所謂、異安心であると云う考え方は、浄土宗は持ちません。各々の根におきまして自行化他を事とすると云うのが、宗祖の生き方であります。』(p29)
 これはびっくりですね。当時一般的に言って「『共生』を説く椎尾弁匡大僧正」は新教義であり異安心と思われていたということ。そして、水谷上人はそうは思わないと考えていると読み取れます。それから37年後、『共生』は800回御遠忌のテーマにさえもなっています。別にそれについて、なんとも疑問は感じません。
 ここで、問題は『共生』の異安心問題が解決しているのかどうか? 今から37年も前に提唱されていた『共生』がそのまま現代のテーマでいいのか?ということです。
 温故知新とは、良く言ったものです。自分は昔の説教本をもっと知りたいですね。