真城義麿師「生活の聞法」聴聞記(続き)
 聴聞の聴の文字は耳+目・心と書く。
 いのちを大切にするとは、殺生しないように努める事。。
 殺生とは 1.自殺
      2.他殺
      3.方便殺  間接的に殺す。
      4.歓喜殺  死んだら喜ぶ。
      5.呪殺   心に思うこと。
 法…縁起
   縁起の法とは、生かされて生きているということ。
  しかし、これを聞いて若者は別の感覚を持つ。それは、ロボットのように操縦されて生かされているということ。ペットのように生かされている。…大人の責任
 私たちは、生かし生かされている。
      一番嫌いな人が、私を支えており、
      一番嫌いな人を、私が支えている。
幸せについて
 いつか幸せになりたいと思っている人は、永久に幸せになれない。幸せはなるものではなく気づくもの。法に出会うと幸せが見えてくる。

アメリカで「ポジティブ・サイコロジー」という授業をインターネットで見られる。
内容は「生れた意義と生きる喜びを見つけよう」ということ。
 
子供が育つために一番厄介なのは、「豊かさ」。
 逆境がない。困ったことがない。挫折がない。
思い通りにならないことと、思い通りにしたいということのギャップが苦を生み出す。その苦にもがくと罪ができる。老・病・死が典型。若い健常者が当り前。

年齢とともに減っていく知恵…記憶力、視力、聴力、瞬発力など
年齢とともに深まっていく知恵…見抜く力、聞き取る力、経験的知恵など

生活に法を感じさせていただくとは、意義・必要性・尊さに気づくこと。そこを説明することはできない。

結論的示唆
 「生かされて生きている」気づきから喜びと、感謝を頂き、
「生かして生きる」努力から人間に生まれてきた意義が得られる。

 生かし生かされて生きていくことに気づけ、ありがたさは自然と出てきます。 (完)

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(蛇足の雑感) 
「生かして」の部分は真宗ではあまり言われませんが、「生かして生きる」ところに人間存在の意義が見出されるということに賛成です。毎日どうしたら他の人が生きるかを考えながら、過ごすのも楽しいと思います。(さらに余談ですが、TVのお笑い芸人は、誰かがスベリそうなときでも、「突っ込み」で何とか笑いを取って納めようとします。めちゃくちゃに言われて可哀相とかでなく、放って置かれるのが一番辛いのです。見えないところで芸人同士助け合って番組は作られているのです。)