真城義麿師「生活の聞法」聴聞記(続き)
[4つの食事] 
1.おいしいが、体に良くない
2.おいしくないが、体にいい
3.おいしくなくて、体にも良くない
4.おいしくて、体にいい
 いろいろな宗教があるが、衆生はどんな宗教を選ぶか?
“おいしい”は今現在のこと、“体にいい”は未来のこと。
「1.おいしいが、体に良くない。」は現世利益型、新興宗教型これを選んでしまう。「2.おいしくないが、体にいい。」は今を捨て、未来に掛ける、苦行型。「3.おいしくなくて、体にも良くない。」は世捨て型、破滅型。
 浄土真宗は手前味噌ながら、「4.おいしくて、体にいい」真の宗教。
 
 西洋文明を取り入れてきたが、一番大事なものを入れ忘れてしまった。欧米では、最高の学問は神学とか哲学である。生れて生きる意味、いのちとは何か、宇宙の仕組みのような根源的学問を大切にし、法学・医学・経済学などは人間が生きていく技術で、ビジネススクールロースクールのような専門学校でやることとして見られている。
 「聞法」とは何か? 法=真実(ダルマ)を聞くこと。
 何故「聞法」するのか? 人間に生れたから。目的に向かっているか知るため。
 何故正しく見ることが難しいか? 同じ物でも見る視点で違って見える。何が正しいかわからない。見る・聞く・判断するは私の都合で変わる。
 “正しい”とは、中道、バランスのいいこと、分別しないこと。
 
 都市化、便利化していくということは、娑婆を改良していくこと。娑婆は不如意で、堪忍土なのに、忍耐する必要がなくなった。合理的の結果であるが、この状態は危ない。幸せはオセロゲームと同じ。一瞬にして裏表が変わる。その時の忍耐能力(逆境適応力)は衰えている。
 
 何を聞法するのか?
1.人間観  人材(能力・地位・所有) ⇔ 罪悪深重(機)救われる身(法)
2.世界観  思い通りにしたい    ⇔ 縁起・関係・つながり (不如意)  
3.価値観  自分にとっての人間の価値⇔ 真実の価値

 脱線話し
常識の罠…ゴキブリを殺す理由。
 蝉は可哀相だから逃がしてやりなさいと言っている尻からゴキブリが出たら叩き殺す。その理由は、不潔だから。昔はそうだったかも知れないが、現代では全く害がない。不潔という理由は消えた。すると、ゴキブリを殺す理由はない。
 今の理由は、実は不快だから。不快なものは殺して排除してよいと暗黙に言っている。極端になるとゴキブリのようなものは抹殺しても良いと思ってしまう。
 閑話休題

生活の聞法 … 聞法は授業に似ている。
1.聞いた話をちゃんと受け取る。
2.今聞いている話と、今までに聞いた話とを重ね合わせる。
3.聞法によって生活が変わる。見方、感じ方が変わる。
 現代の一番の聞法 = 病院の検査結果を聞くとき 聞法はがん告知に似ている。
 死ぬもの同士の平等を意識すれば、対処が変わる。
 
自由と思い通りにできることとは違う。TVを見る自由はTVに縛られているだけ。便利なものを使うと手放すことができない。良かれと思って不自由にしている。
 
(もう一回続く)幸せとは何か、人間の意義とは何かの問いに答える。