--宗教の本質と可能性を問い直す--
 今日の宗教は、そもそも宗教とは何かという問いに目覚める必要があります。
 宗教の本質とは何か?
 本質とは実存に対立する概念で、宗教の本質とは、それがないと宗教ではなくなるというもののことです。それは、時代によって変わる人間の思想とは違うということです。
 宗教と言うものは決して個人個人の心理現象の問題ではありません。宗教は何か心情の満足、連帯感による生きがいが持てただとかが宗教だという誤解があるようですが、宗教は自分の心情の主観的満足ではありません。
 
 哲学者プラトンにとって、哲学は何かと言うと死に対する準備を整える道だったそうです。哲学の道とは、死を超えていく道、生きている間にその準備をすることが哲学だといったのです。
 ソクラテスの不滅の思想は、「生きている間に心理を知った人間は、生前も死後も妨げになるものは一つもない」ということだったのです。

 
 法話で言われていることと似ているでしょう。これらのことは哲学であって宗教ではない?
 否、宗教は哲学の概念をも包みこんでいるのです。だからこそ、宗教の本質を知らずして語ると、こころの持ち方、人生のノウハウがあたかも宗教的問題のように語られてしまいます。それはそれとわかってやっている人はいいのかもしれません。区別して語ればいいわけですから。しかし、わからずに曖昧のまま人生訓のようなものを宗教だといって語ってしまうとそれは擬似宗教、非宗教、ひどくは邪教や迷信とまでなってしまうことでしょう。