(その2)
 父は身分のある方ですから後添えとして照夜の前様という型をお迎えになり、姫も養母の元で可愛がられて育てられますが、姫の義弟に豊寿丸という男の子が生まれますと、今まで優しかった照夜夫人は掌を返すが如く、事毎に姫につらくあたるようになる。俗に申す継子いじめ、それも一入ではありません。姫はじっと我慢をいたします。いじめられればいじめられる程、
「ああ、母様、お母様、私は悲しい。あなたは私を残して何故お亡くなりになったのですか。私もあなたの元へ行きたい」
 日に日に募る悲しさに、母を憶い仏道を志し、遂に他人をして姫を殺さしめようとした継母の仕打ちに絶えきれず、十六歳にして家を出で、日頃仏道の手引きを受けていた大和当麻寺へ逃れ、当麻寺住僧実雅上人の許しを得て、寺内の庵室に入りました。
 明けて天平宝字七年(763)6月15日、姫17歳にして、日頃の念願叶い師の元にて剃髪得度、緑の黒髪をぷっつり落とし文字通り身も心も仏弟子となりました。法如という法名をいただいた姫は、師の実雅上人に向かって申すよう、
「お師匠さま、本日はまことのありがとう存じます、私はこちらに参りましたよりこの方、日毎夜毎私の最も敬っています称讃浄土経を写経いたして参りましたが、今日はからずも壱千巻になりました。これを当山に奉納いたしたく存じます。」
 称讃浄土経と申しますのは、異訳の阿弥陀経のことで比較的に短いお経です。四枚の紙に書けるので四紙経とも申します。写経を奉納いたしました法如は一層仏道精進に励み、秘かに祈るよう
「どうぞこの上は、この眼で生身の阿弥陀如来を見奉りたい、拝みたい」
 と来る日も、去る夜も必死に願いました。