いつもの「ちりとてちん」に
 「おまえは落語がしたいのか、落語家になりたいのか?」と問われる場面がありました。落語がしたいなら、こちら側だけの都合で、いつでもすればいい。しかし、落語家になりたいのなら、お客様を気分良くさせないといけない。お客様がいま何を望んでいるのかを感じ取れるようになるために掃除などの修行が必要なのだと。
 お店の接客にも通じることでしょう。しかし、KYといわれる言葉も流行るように、だんだん言わなくても分かるということは難しくなってきています。それだけ、人間に興味がなくなってきている、かかわるのが面倒になってきているということでしょう。自分も出来ればそうありたいのですが、不可能ですので、少しは修行してお客さんの気持ちが分かるようにならないと、生きていけないと言うことですか。
 いや、もっとプラスに考えて、それを楽しめるようになれるようにしよう。