いのちの食べかた 森達也
 『世界は広い。すべてを知ることなんてとても無理だ。でも、キミの毎日にとってすごく身近なことを知らないなんて、なんとなく落ち着かなくない?まずは、きのうの晩ごはんを思い出しながら、ちょっとだけ、考える冒険をしてみよう!』
 オビの言葉であるが、「ちょっとだけ」と言いながら、少し難しい部分もありますが、小中学生に読んでもらうのには、素晴らしく良い本だと思います。先日の偉い先生もこのような話をしなければ…。 
 2004年11月19日が初版で、2007年10月25日で13版なのでかなり広く出回っていて多くの人に読まれていると思われます。1時間半くらいで読める123ページの手軽な本です。今回アメリカの映画のタイトルに使われたことでまた読まれることでしょう。そして、映画「いのちの食べかた」を是非見てみたいと思います。
 不浄を隠すことによって無知が起こり、無知が差別を作っていく、差別はいじめの原因にもなっている。しかし、根本のところは差別せずにはおられない人間と言うものの愚かさから来ている。それを少しでも解決する方法は、知ること。
 『だから、僕は思う。知ることは大事なのだ。人は愚かだと昔からよく言われていたけれど、知っていることを間違えるほど愚かじゃない。知らないから人は間違う。知る気になれば知れるのに、知ろうとしないこともある。戦争は愚かだと誰もが知っている。でも戦争はなくならない。本当の悲惨さを、家族が殺されるつらさを、自分が誰かを殺さねばならない瞬間を、人はいつのまにか忘れてしまうからだ。忘れているのに知っているつもりになる。だから間違う。知らないのに知ろうとしない。だから失敗する。
 少なくとも、これだけは言える。何が大切で何がどうでもよいかの判断は、知ってから初めてできる。知らなければその判断もできない。』
(本文より引用)
 なぜか新鮮な響きを感じるのは私だけでしょうか。子供たちに説明するのにはこのような視点で良いのではないかと思うのです。人間は信用に値するというのが一般的な見方なんですね。自分は忘れかけていました。
 後半の知らなければ判断できない、と言う部分は、今の国民はいったいどれだけいろいろなことを知っているのか(勉強して知ろうとしないし、隠されていること、偽装も多い)。日本の進むべき方向を判断できるのか不安になってきます。
 「私たちはいのちを頂いて生かさせてもらっている」などとはいいますが、そのお肉がどのようにしてスーパーや食卓に並べられるのかはベールに隠されてしまっています。具体的な方法は誰も知らないでしょう。実はそれも見学できるそうです。説教師さんのグループで見学を企画してみたらどうでしょうか。簡単にいのちを頂いていると言えなくなってしまうかも知れません。この本を小・中学生の教材として使って欲しいと思いました。