田畑正久著「生と死を見つめて」東本願寺伝道ブックス42 250円
 「あとがき」より引用
 『人間にとって本当の幸せって何?健康で長生きすることだけが幸せなの?―社会の高齢化に伴って、そんな問いかけがますます切実なものになってきています。
 田畑正久氏は、大分県の東国東(くにさき)広域国保総合病院院長として、病院内での仏教講座の開催などビハーラ活動に積極的に取り組んでこられました。本書では、医師として、ビハーラの実践者として人々の生老病死を身近に見つめてこられた経験を活かし、医療と仏教との共働の可能性に向けてさまざまな提言をしてくださっています。「老いによってしぼまず、病によって傷つかず、死によって滅びないいのちを生きるということが大事なんです」という氏の言葉に深くうなずかれる方も多いのではないでしょうか。《中略》
 医療や介護・福祉の在り方が私たちの切実な課題として迫ってきている今日、本書が一人でも多くの方々の手に届き、生きる方向性を見いだす一助になればと思います。』

 この本の中で、賛同というか、そうなんだよなと思うところは、
 「私たち人間の苦しみ、悩みというのは、『私の思い』と『現実』の差が大きければ大きいほど、大きくなります。だから、私たちの営みは、この『思い』と『現実』との差をできるだけ小さくしようという取り組みになるわけです。思いと現実の差がほとんどない人は、『私は私でよかった』ということになります。浄土真宗で言うなら『念仏ひとつでこと足りた』という表現になるかもしれません。
 ところが意外と私たちは、私以外の者になりたがるというところがありますね。いまの私より、もう少しよい人間になりたい、もう少し能力のある人間になりたい。私の『現実』より『思い』を優先させてしまうんです。みんなからよい評価を受ける人間になりたいという思いと、現実との差がどうしてもあって、なかなか『私が私でよかった』ということにならないわけです。
 『私が私でよかった』ということになったら、人間としての進歩がないじゃないか、と言う方もおられます。しかし、若い時は進歩するのもいいかもしれませんが、四十歳を過ぎ、五十歳を過ぎても、まだ自分以外の者になりたがるというのはどういうことなんだろうか。このことをよく考えていかないと、この差が開くばかりです。
 この『思い』と『現実』の差を小さくするということが、対人援助といいますか、悩み苦しんでいる人を救うために大切なんだということを、基本的に押さえておきたいと思います」

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 私たちは、小さい子供をつかまえて、「あなたは凡夫なんだから」とか「罪悪深重、煩悩熾盛なんだから」だとか言わないであろう。どこからそのような自覚が必要になるのだろうか。それが分かれば、その時に徹底的に教え込めば、これほど鬱病というものが流行らないのではと思う。
 幸せすぎてそれを幸せと自覚できないことが、自己成長を阻害している。自己の成長とは、自分を見つめなおすこと。それがないところに、真の幸せは現われない。