初めての講師で後半だけ聞いたのですが、久しぶりにこの時間を返して欲しいという法話でした。どこのご住職かは調べていないのでわかりませんが、何が目的で、何が言いたかったのか、よくわからないお話でした。それでいて20分オーバー。一言でいうと雑な法話。面白い話でもなし、知識を講義するでもなし。「子供のころバナナがご馳走で憧れていた。今ではバナナも饅頭も子供たちは見向きもしない。」話はそれで終り。そのようなことは皆「そうです」と言うしかないこと。では現代は○○なら子供は喜びますよとか、そこから発展させて、御門徒もお寺で○○を楽しみにしていたのに、今ではそれも飽きられてしまっています。では、今何を寺に期待しているのですか。私はこれだけのものを提供したいと思っていますよ、ということを聞きたいのです。それができなかったらお話でなく、法話をしてほしいと思いました。少なくとも有り難い話が聞けます。聴聞後に是非、談合して他の皆さんはどのように聴いたかを確認してみたかったです。自分の感覚がずれているのか心配になってきてしまいました。厳しいようですが、いろいろ法話を聞いてみて三河地方の説教師さんのレベルは高いと思います。遠くから来る人は話をする前にこれで良いか確かめてから説教してほしいと切に願います。実際には、内容も大事ですが、説教に対する姿勢を見せて欲しいと思います。
 一つ良いこともありました。隣で聞いていたおばあちゃんが話し掛けてきてくれて、「若いのに(自分は47才です。)よく仏縁に会ってくれて、本当に感心ですね。」と、とても有り難がってくれたことです。いえいえ有り難かったのはこちらのほうです。おばあちゃんに出会えて救われました。