火治さんのコメントを見て、早速、田原由紀雄氏の記事をチェックしてみました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20070920ddm004070021000c.html
 感性に訴える浪花節−現代の布教問いただすと題して、近年の「寺離れ」を憂いている。その一因としてお寺に行っても心を揺さぶられる名法話にはなかなか出会えない現状がある。大衆性を持ち感性に訴える節談説教から仏教界が学ぶべきものも多いのでは、と書いてある。自分も少なくとも教団として門徒に向かい合うときには、講義ではいけないと思う。750回忌に向けて大いに現代の布教方法を考えてもらいたい。近年「現場なき教学、教学なき現場」という言葉があるそうで、うまいことを言うと思った。最後に「仏教界は現代人の心をわしづかみにするような迫力と魅力のある布教を生み出す努力をするべきだろう。」と結んでいる

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 ちょっと長くなるが、昔、親鸞聖人の時代に彼は今を生きた。その布教の特徴は和讃であった。蓮如上人もその時代の今を生きた。その布教の特徴は(ふみ)というものであった。江戸時代後期から昭和初期まで「節談説教」は力を持っていた。昭和のテレビのない時代には「絵解き」も布教に一役を買った。それらの大衆芸能的な布教活動は、民衆の楽しみでもあったであろう。
 では、現代の人たちが集まれる布教方法は、と考える。
 自分の個人的な意見で、「スーダラ節」「窓」「夜明け」「千の風になって」「本日、未熟者」など考えさせられるヒット曲がいっぱい出ている。特に「千の風になって」は格好の事例であろう。現代風の楽曲に乗せて、仏法を発信するのである。自分は歎異抄の7章に「無碍の一道」として曲をつけた。3拍子のワルツ調である。いいことは歎異抄が身近になり、暗記できることである。みんなが覚えたら何かが変わるのではないだろうか。1章も作曲したがちょっと無理があるかも。
 ということで、法話を歌にしてしまったらどうかというのが、自分の試みである。完全に真宗を意識した布教の歌を作りたい。で、試みに作ってみた。 
  ♪弥陀からの贈り物  作詞 釈龍之
1. 信じようとすれば 離れて行く     
  すぐに消える 無量のあなた
  真実の世界から 来(きた)ると言うが
  その世界は語ることも
  計ることも 思うことさえもできない
  そうだ そうだったんだ
  何もすることは なかった
  気づき続ける心さえあれば
  必ず いつか会える
2. 信じるといえば その場かぎり
  すぐにまた 迷いの中
  信心を語る人は たくさんいるが
  その世界は語ることも
  計ることも 思うことさえもできない
  そうだ そうだったんだ
  信心とは もらいもの
  気づき続ける心さえあれば
  必ず 与えられる

  そうだ そうだったんだ
  弥陀からの 贈り物 
  気づき続ける心さえあれば
  必ず 与えられる

 曲をつけると‘ムーディ勝山'のようになってしまった。
 才能のある人なら、もっと気の利いた楽曲が作れるでしょう。それぞれの人が、それぞれの方法で試行錯誤し、切磋琢磨していきたいものです。出来るひとはそれをやり、みんなはそれを支える。ただそれだけで活気ある布教活動が展開されるのではと思います。アイデアはいくらでも出します。