以前、還相の回向をもっと考えなければいけないということを書いたが、あるブログから下記アドレスの論説にたどり着いた。自分もいつも思っている現仏教界に対する悶々とした思いが読み取れる。
 http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/kaken2002/C04.pdf
 先日の聞法会で、人生は空過なり。空しく過ぎる。ある人曰く「忙しくても空しさを感じる」と。現代人はその空しさに気づかない人も多い。気づいて右往左往する(最悪命を絶ってしまう)。
 じゃあ、どうしたらいいのか。・・・答えかどうかはわからないが自利利他にヒントがありそうだとその時思った。空しさからの解放は、自利を利他に転換できたことによって生まれる。もし、それができない者は空しさを受け入れるしかない。そう考えたときに、そのような者のために浄土の教えがあるのだから、浄土教が、社会的な力とはなり得ないことは仕方のないことでもあると考えられる。しかし、本当の救いはそんなところではないように思う。
 還相の回向というのは阿弥陀如来衆生済度のお手伝いである。生きているうちにその働きを生かしたらどうだろうか。それを還相回向とは呼ばないが、その精神を持って今困っている人に向かって行かねば、仏教の所詮がないし、そこにこそ生きている人間にとっての救いがあるように思う。