碧南市には、「大浜てらまち案内人の会」というものがあります。そこで今“文学碑を探そう”というテーマで町のことを勉強しています。
 そんなことで本屋さんに行ったら、「愛知の文学碑」愛知文化シリーズ(1)愛知県郷土資料刊行会があったので買ってきた。歌碑、句碑、詩碑、詞碑に分かれていて、寺、神社、公園、個人宅等あるが圧倒的に寺院が多い。中には中区錦三テレビ塔東北脚前に芭蕉の碑があるという。
 先日はくらがり渓谷まで、糟谷磯丸の歌碑を見に連れて行ってもらった。自分にとっては初めて聞く名前で、全く知識は無かったが、この本を見ると三河地区を中心に22基の石碑が確認されているという。「すなおでわかりやすい磯丸の歌は、飾らず、おごらぬ人柄とともに、庶民の間に信仰的にもてはやされ、やがて、まじない歌まで懇願されるようになっていく。磯丸のまじない歌はよく利いた。」と書かれている。嘉永元年(1848)、85歳で世を去った磯丸は、伊良湖神社の一隅に磯丸霊神として祀られている。庶民の信仰心というものは、仏教の教学だけでは片付けられない郷土にまつわる歴史とか風習とかが係わっているであろうと体感したことである。一つの宗派にこだわらず、いろいろな人の宗教についての考えを聞くことは大事であろう。石碑とかを研究している人の宗教観は、自分にとって新鮮でとても参考になる。
 糟谷磯丸の歌について詳しく出ているブログを見つけたので、付け加えておく。http://d.hatena.ne.jp/ajita/searchdiary?word=%2a%5b%c1%ec%c3%ab%b0%eb%b4%dd%5d
 今日、長野県のある地方のお盆の行事をTVで紹介していたが、灯籠を燃やしそれを振り返らずに帰っていく。振り返るとご先祖の霊が迷うと言う。村中の人がその伝統の行事をつなげて行く。おじいさんが孫を連れてみんなが同じ連帯感で繋がって行く。宗教学では理解できない、何ともいえない郷愁が漂っている。これを見てコメンテーターは日本人に生まれて良かったなぁと思ったという。この感覚と迷信に惑わされないこととの両立を真宗はどう考えるのだろうか。
 石碑にもどるが、上地町の寂静寺(浄土真宗本願寺派)にあった詩碑には心打たれた覚えがあったので、行ってみてきた。記憶はあやふやなものである。確認してきたら小学6年生の子が書いた「老人ホーム」という題の詩でした。