上記暁天講座聴聞の感想。
 発心とは・・・。一念発起(自力) 発菩提心(自他力) 回向発願心(他力)。どうでしょうか。
 親鸞聖人九才の春、出家得度した。このとき九才の聖人に発心という自覚はあっただろうか。発心を一念発起とすると、こちら側の都合でやったり、止めたりということになる。ダイエット、禁煙・禁酒、受験等、一念発起することは多いがそれが身に付き生活に現れなければ「発心」とは言えない。この得度のときに、講師もいっていた通り、聖人に「発心」の自覚は少なかったであろう。この出家得度は、後の親鸞聖人の人生を大きく変える意味があった。聖人の実際に目に見える発心は「建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と決したときであろう。しかし、その発心は九才の時から回向発願心として育まれたものだったのだ。「発心」は、体解(たいげ)に結びつき、人生を変える。
 今年の24時間テレビのテーマは「人生が変わる瞬間」。テレビの前で感動していても、テレビの前から離れなければ(行動を起こさなければ)、人生は変わらない。一念発起しよう。
 毎年行なわれる24時間のマラソンに何の意味があるのかと考えたとき、フラフラになって理性では間に合わなくなったときに、今まで身に付いたものが現れて出て来る。そのような自分の状況を作るために、欽ちゃんは「行」のつもりで一念発起したのだろう。この24時間マラソンに出場することにより考えられるメリット・デメリットは当然計算されつくされているであろうが、今後の環境は、思わぬ出会いをもたらし、回向発願心が開発(かいほつ)されていくであろう。何故なら、人生は不可思議であるから。

                                                                        • -

 於西岸寺 月例第108回朝の法話
 参詣者から木魚布団10ケの注文がありました。ありがとうございます。
 このお寺の住職はギターを弾く住職として有名で、マリンバの水谷さんとは、このお寺で知り合った。知恩院のおてつぎ信行奉仕団で宿泊する和順会館のロビーの階段近くの柱に、「盲導犬‘パルサー’もおてつぎ信行奉仕団に参加」という新聞記事が貼ってある。そのお寺が「西岸寺」である。
 ご住職とみんなで法話の途中に歌を歌う。今日の歌は「かもめの水兵さん」「いいじゃないの幸せならば」。いろいろな歌を紹介してもらって、歌詞を改めて見てみると、へぇと思うものも多い。曲は知っていたが歌詞を見て「いいじゃないの幸せならば」なんてこんな歌が昔は流行っていたんだと逆に感心してしまった。自分が知っているのは相良直美さんの歌だが、夏木マリさんも歌っているらしい。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/iijanainoshiawase.html
 現代の虐待、育児放棄の問題と同じではないか。それをいいじゃないの幸せならばと正当化している。人間の心は昔から変わらないのか。しかし、この歌には凡夫の悲しさを感じる。現代の事件にはその悲しみが見えてこない。
 これらの歌が流行ったために、自分もいいじゃないのとなってしまったのか。流行歌や漫画による社会影響(良いも悪いもある)には興味がある。そんなことで影響されるほど人間バカじゃないという人がいるが、実験によるとたった3人の集団の影響で自分の意見を変えるのが人間である。
 今日、水谷さんのマリンバ演奏で教えてもらったのは、昭和11年の歌で「うちの女房にゃ髭がある」と言う歌。この女房のところを官憲に変えると違う意味になるという。こうやって社会にたいするうっぷんを晴らしていたのだろう。http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/higegaaru.html