仏教的ものの見方-仏教の原点を探る-森章司著 国書刊行会

仏教的ものの見方・生き方 いかにして「あるがまま」を「あるがまま」に見られるようになるか(6)
 ところが、現代人はこの反省(欲望の充足は「悪」という反省)を失ってしまった。その結果、資源は枯渇し、環境が破壊され、人々の心がむしばまれた。何度も書いてきたように、欲望は迷いや苦しみの根源であり、貪り・怒り・無知は世界を滅ぼすことを思い起こさなければならない。大乗仏教が説いた「煩悩即菩提」という提言も、煩悩は否定されるべきものという反省があり、菩提は追い求められるべきものという欣求の思いがあって、初めて意義がある。煩悩と菩提が無条件に、煩悩=菩提であったなら、煩悩や菩提という異なった言葉があるということ自体が無意味となる。「即」は「非即」があって初めて深い意味を持ちうる。初期仏教のように、煩悩は断じられ、菩提は因果をはなれたところで獲得されるというのではなく、煩悩は昇華されて菩提となりうる、というのが大乗仏教の教えなのである。今ここで「少欲知足」という仏教の最も基本的な価値観を見直さないと、人類はとんでもない結末を迎えなければならないことになるのではないか。(7に続く)