初心は忘れるほうがいい(初心はあなたを苦しめる)。
「こころの日曜日」法研発行 に出ていた言葉である。このブログも書き始めるのに初心があったわけで、何かを発信したいと思って始めたのである。リンクで覗かれたときに申し訳ないなぁと思ってしまう。自分も何かを調べたいときに、無数の不要な情報に邪魔をされるからそう思う。一応芯は仏法を語ろうということで情報交換ができればいいと思っている。しかし、最初にあげた言葉のように、「初心は忘れるほうがいい」。初心は忘れないほうがいいかもしれないが、初心に縛られることはない。興味のある人がさらっと読んで何か思ってもらえれば幸いである。

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お寺の掲示板にいろいろな言葉が書かれている。大概は常識をひっくり返すような言葉でわれわれに問いを発する。「初心は忘れるほうがいい」これも一般に言われる言葉の反対を言った言葉である。自分は忘れられない言葉がある。それは
「善人の誇りは世を汚し、悪人の涙は世を清める」というもの。
一生懸命やればやるほど深みにはまっていく感じを持った人も多いと思う。それは、俺がやった、俺がやらなきゃ始まらないと我が全面に出すぎてしまうからである。しかもそれは善人の我である。全く悪気はなく、良いことをしているつもりだから衝突することも多くなる。極端な例が戦争である。戦争は善人の誇り(正義)から起こる。それに対して、悪人の涙が世を清めてくれるという。悪人と言うのは悪人の自覚を持つすべての人という意味での悪人である。悪いことをせざるを得ない人間(凡夫)にその自覚が芽生えたときに、あぁなんと愚かだったのだろうと、流す涙が世を清めてくれると言うのだ。これが真実だとすれば、社会を良くする方向性は自ずと見えてくる。便利な世がいいのか、生きやすい(生まれ甲斐のある)世がいいのか。選択するのは今も昔もその国の人民である。