ちょっと仏壇のこと(主に真宗)について
 仏教が一般庶民に説かれるようになるのは、鎌倉時代のことです。伝教大師最澄が開いた比叡山延暦寺で修行をした祖師たちが、仏教の教えを積極的に庶民に説こうとしたのです。法然上人は浄土宗を開き、その弟子親鸞聖人は浄土真宗を開きました。道元禅師は曹洞宗栄西禅師は臨済宗を、日蓮上人は日蓮宗をそれぞれ開きました。こうした祖師方は、貧富の差を越えて教えを説き、それによって庶民への仏教が浸透していくのです。
 そして、室町時代中期に、浄土真宗蓮如上人が現れます。蓮如上人は強力でカリスマ的なリーダーシップを持ち、当時は弱小教団であった真宗本願寺派を布教によって大きな勢力としていきました。その蓮如上人が、仏教の信仰を深めるために、聞法会を各地で開き、みなが仏壇をもつようにと説くのです。これが庶民が仏壇を持つようになったきっかけです。
 現在、真宗で用いられている金仏壇という仏壇の形式は、蓮如上人の「お袖縋りのお文」で説かれた阿弥陀仏の姿がもとになっていると言われています。「お袖縋りのお文」には次のような内容が書かれています。
「われわれ凡夫を救ってくださるのは阿弥陀様だけですから、ひとすじに阿弥陀様の袖にすがる思いで『助けてください』とお願いすれば、阿弥陀様はお喜びになって、その身から八万四千の光明をはなって、私たちをその中につつみこんでくださる」
 金仏壇が、金箔やさまざまな装飾で飾られ、荘厳な姿をしているのは、こうした阿弥陀様の光明を表現したのです。真宗門徒はこの荘厳な金仏壇の中に、阿弥陀様の光明を見て、極楽浄土に思いをはせたのです。そして、真宗における仏壇と言うのは、家の人がお参りするための場所であると同時に、門徒集団の聞法道場としての役割も果たしていました。門徒は毎月のように当番の家をまわり、その家の仏壇の前で、報恩講などのさまざまな行事を行ってきました。行事はすべて阿弥陀様の前で念仏を称え、阿弥陀様にお祈りすることの実践でした。ですから仏壇も、阿弥陀信仰の場であると考えられており、先祖供養の場としての意味合いは薄いものだったのです。
 真宗では今も、仏壇の中には原則として位牌を置くことはしません。真宗門徒にとって、仏壇を家に置く目的はあくまでも、阿弥陀様への祈りを捧げることなのです。
 [鎌倉新書 どこが違う?お仏壇より]
仏壇でも何でも始まりがあり、その時に決めた人がいて、決めたことがだんだん変化していきます。元に戻って考えることによってより良い方法が見つかるかもしれません。「お講」とかの復活は無理かもしれませんが、現代版をつくればいいと思います。「五劫思惟」です。いつも考えていれば必ずアイデアは出てくると思います。50年後の仏法のために今やることは何でしょうか。