久しぶりに専念寺さんの定例に足を向けた。その前に会合があったので忘れていたのだが、専念寺の定例は20時から始まる。1時間遅刻だったが思い出して車を走らせた。中島から帰れば帰り道の途中だ。丁度一段落していたところで部屋に入るやいなや、「浄土へ行きたいと思いますか?]私の応えは「浄土へ行くと思えるようになりたい」これは前にも紹介した信国淳師の「ぼくは決心した。ぼくは浄土へ行くのだ」を意識している。韋提希夫人の救いが定例のテーマになっている。教行信証の総序は本当にすごいということで、皆で読み直し「穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。」ここで識を「さとり」と読ませている。悟り、覚りと何が違うのか。小さな疑問だが、そこから小さな感動が生まれた。聞法会の醍醐味である。自分は科文というのを初めて聞いたが、この後、大経の科文の解説が45分。難しくて分らないという感想も出た。が、自分は聖典p.985以下の科文を参考に教行信証が読めるかも、という良き縁に出会えたと思った。