[一念多念文意]
多念をひがごとと思うまじき事
本願の文に、「乃至十念」と、ちかいたまえり。すでに「十念」とちかいたまえるにてしるべし。一念にかぎらずということを。いわんや「乃至」とちかいたまえり、称名の遍数さだまらずということを。この誓願は、すなわち易往易行のみちをあらわし、大慈大悲のきわまりなきことをしめしたまうなり。『阿弥陀経』に、「一日、乃至七日、名号をとなうべし」と釈迦如来ときおきたまえる御のりなり。この経は「無問自説経」ともうす。この経をときたまいしに、如来にといたてまつる人もなし。これすなわち、釈尊出世の本懐をあらわさんとおぼしめすゆえに、無問自説ともうすなり。弥陀選択の本願、十方諸仏の証誠、諸仏出世の素懐、恒沙如来の護念は、諸仏咨嗟の御ちかいをあらわさんとなり。