[一念多念文意]
しかれば、「必至滅度」の誓願を『大経』にときたまわく、「設我得仏 国中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覚」と願じたまえり。また『経』(如来会)にのたまわく、「若我成仏 国中有情 若不決定 成等正覚 証大涅槃者 不取菩提」とちかいたまえり。この願成就を釈迦如来ときたまわく、「其有衆生 生彼国者 皆悉住於 正定之聚 所以者何 彼仏国中 無諸邪聚 及不定聚」(大経)と、のたまえり。これらの文のこころは、「たといわれ仏をえたらんに、くにのうちの人天、定聚にも住して、かならず滅度にいたらずは、仏にならじ」とちかいたまえるこころなり。また、のたまわく、「もしわれ仏にならんに、くにのうちの有情、もし決定して等正覚をなりて、大涅槃を証せずは、仏にならじ」とちかいたまえるなり。かくのごとく法蔵菩薩ちかいたまえるを、釈迦如来、五濁のわれらがためにときたまえる文のこころは、「それ衆生あって、かのくににうまれんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆえはいかんとなれば、かの仏国のうちには、もろもろの邪聚および不定聚は、なければなり」とのたまえり。この二尊の御のりをみたてまつるに、すなわち往生すとのたまえるは、正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり。このくらいにさだまりぬれば、かならず無上大涅槃にいたるべき身となるがゆえに、等正覚をなるともとき、阿毘抜致にいたるとも、阿惟越致にいたるとも、ときたもう。即時入必定とももうすなり。