わたしたち自身のことを振り返ってみるとよくわかる。本を読んだり人の話を聞くとき、自分の教養知識と体験の範囲内で理解する。たとえば、相手が「悪」という概念を持ち出して来れば、まったく意識することなく自分が考える「悪」の概念で理解している。
このズレや誤解がもっとも大きく生じるのは、わたしたちが物事を理解しようとして書物を読むときだ。著者の概念と読者の概念の差が大きすぎるとき、読者はその書物や思想について「わからない」とか、「難解だ」とつぶやくのだ。
                         白取春彦著  生きるための哲学 ニーチェ[超]入門より 

法話も一緒ですね。常に相手の理解の度合いを意識していないと、分らないまま、または誤解したまま進んでしまいますね。先日の臘扇忌(ろうせんき)の法話でも、質問で「全く分らなかった」という感想が出されました。自分は「大谷派なる宗教的精神」を興味深く読んでいたので、とても面白かったのですが、どんな人が聞いているか、何を聞きに来ているのか、等いろいろな情報を探りながらお話しないと時間の無駄にも等しいと考えさせられました。