『「〜すれば(その報いとして)〜となる」という因果応報のパターンが、成功・失敗訓話のパターンであり、おおむね実話に基づくものである。まあ、少しは―ものによっては大量に―「気高い作り話」も混じっていることだろう。…ちなみに、情報源が実話か作り話かというのは、人生訓を学ぶ心理としては微小な差異でしかない。要は語られている物語の中から、教訓的な喩え話が読み取れればそれでいいのである。』
 なるほど。でも法話では、もとの話が分からないような形、もしくは完全な創作ならまだしも、事実と微妙に違う作り話は聞きたくありません。こうあらねばならないという意識が強すぎて話が大袈裟になるのでしょうね。
 ときどきあるかも知れません。気を付けないと。