機法の機

「機」とは
(1)未だ仏法を聞いて居らぬ一般の衆生を「素機」という。
(2)信心を得た人、又はその位を「正定聚の機」という。
(3)金剛の信心そのものを「絶対不二の機」という。
此処では悪人の人、即ち逆・謗・闡提の吾等の如き、どうしても助からぬ人を「機」という。
五逆罪・謗法罪・一闡提を「難治の三病」「難化の三機」といって、必ず無間地獄に落ちる重い罪である。
親鸞聖人は「逆・謗・闡提」とは御自身のことであると、痛切に感ぜられた。故に『歎異抄』には「親鸞一人が為なりけり」と申され、「信巻」には「逆・謗・闡提」を取り上げて、
「是を以て、今大聖(釈迦如来)の真説に拠るに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓を憑み、利他の信海に帰すれば、斯を矜哀(あわれむ)して治す、斯を憐憫(あわれむ)して療したまふ。喩へば醍醐の妙薬の一切の病を療するが如し。濁世の庶類、穢悪の群生、金剛不壊の真心(信心)を求念すべし、本願醍醐の妙薬(本願名号)を修持(敬い信ずる)すべきなり」
と仰せられた。