「往生」がテーマの聖典学習会。
東西のそれぞれの先生が、「微妙に混ざってはいるが、東は『現生往生』、
西は『臨終往生』が基本的な考え方です」とはっきり言われました。
それで、ずっと疑問に思っていたことで、自分なりに納得したことがあります。
西の法、東の機という法話の説き方。
「臨終往生」は法の深信が中心になると思います。
「現生往生」を実感しようと思えば「罪悪深重(真理に背く)、自力無効の身」を
徹底的に見つめ直さねばならず、その度合いで往生の時が限りなく今に近づくのではないか、
したがって機の深信に力が入る。と感じられました。 
あくまで個人的で一面的な意見ですが、
少なくとも法話の違いの根拠を知ったみたいで自分としては面白かったです。
そして、同じ真宗でこれほどまでにはっきりとした解釈の違いがあるとは知りませんでした。
他にも違いがあるのでしょうか?