今日の中日新聞のエンタ目は面白かったです。
谷村新司の「ソングライティングコース」が東京音楽大学でスタートしたということです。
その中で、

例えば、「水の入ったガラスのコップ」。これをどう表現するのか…。
「コップに水が入っています」と誰もが表現することを、違う表現で考えること。
「水はコップに抱きしめられている」。こう表現すると、どうでしょう?
何でもない水とコップの間にドラマが見え始めてくる。
自分が当たり前だと思っている視点を変えることから、新しい感覚が生まれてくる。
そう考えることで新しい自分の可能性を発見していく。
この授業はきっと驚きの連続になるでしょう。
水が入ったコップを見ているという普通の見方から、コップの立場になると、「水を抱きしめている」。
水の立場になると、「コップに抱きしめられている」と気付き始める。
これは生き方への大きなヒントにもなります。
相手の立場になって考えてみる。
そのことはきっと人間関係にも良い影響を及ぼしていく。
「自分さえ良ければ…」から、「相手を思いやる」というやさしいさが生まれてくる。
たった一つの考え方から、自分を解放していくことで全てが変わり始める。

「今、いのちが あなたを生きている」の御遠忌テーマは、
まさにこのことを言っているのだと思います。

こんな変な文章は意味をなさないとまで言う人もありました。
その人にとっては、上記の引用みたいなアプローチを真宗に求めていなかったのでしょう。
(それか一般人が感じる感覚すら持ち合わせていないようなセンスの無い坊さんであったかです)
 
御遠忌テーマは、谷村新司さんの言う「たった一つの考え方から、
自分を解放していくことで全てが変わり始める。」ということが一番の効用だと思います。
自分は、谷村新司さんの意見に100%賛成なのですが、
谷村新司さんの意見を100%支持してしまうと、
真宗の意味が見えなくなります。少しは独自性、それが阿弥陀仏の世界なのか、
念仏の意義なのか、何かを見つけないといけないのだと思います。
さて、上記引用のような論理的な説明と真宗の世界観が両立できるのか?
 
とりあえず、未だに御遠忌のテーマの意味が今ひとつ分からないと悩んでいる殊勝な方が居られたら、先の引用文をまるまる引用して説明したいと思いました。