今日は3回目の真宗学院の授業でした。
この学院の授業は資格を取るためのものだといまさら気づかされました。
“絵解き座”で夜を徹して討論したワクワク感とか充実感よもう一度
と期待していたのかも知れませんが、ちょっと無理かなぁ。
違ったアプローチを考えます。
でも、不思議とお金を払っても授業を聴講しに来ている人もいるわけで…。
自分なら、仏教学とか真宗学は3年目にして、
1年目は声明作法や教化学を受けると思います。
釈迦の一生とか、親鸞の一生とかやってるのは、時間が勿体無いですから。

前回の先生と、今回の先生は立ち位置が違うのも気になります。
前回「仏教に何を学ぶか?」の問いに「自己」ではあまりにも単純なので、
無理無理考えて、ある考えが浮かんだけど、先生の意に合わない答えだったので却下。
自分も学院に入ったのだから、先生の教えに素直に従おうと無条件の×をつけました。
そうしたら、今日の先生は社会派なの?
自分にはこちらの考えが合っていそうですが、そんなことで良いのだろうか?
これは3年間別の意味で勉強になりそうです。