ものが売れるためには、その商品が良いものであることは勿論、
ワクワクすることを提供しなければならないそうです。
そして、お客さんはそのワクワクが何であるか答えを知りません。
つまり、教えて、気付かせて、気持ちを満たすことが必要になるのです。
気付きやワクワク感や感動がないと商品は売れません。
 
法話も当にそうだと思います。
商品は必要に迫られてということもありますが、
法話は大概の人には絶対に必要というようなものではありません。
教えて、気付かせて、気持ちを満たすことができなければ、
お客さんはつかないのです。
そのために説教師さんは日々精進していることと思いますが、
基本的なこの姿勢を意識していない法話も多いように思われます。
法話を聴いて、ワクワク、生き生きしてこなかったら、
それは何かが間違っている可能性があるのです。
それを放置しておくと、法話自体の衰退もしくは消滅の危機もあるのではないでしょうか。
法話を聴きたいという潜在的需要は無限と言って良いほどあると思います。
良いものを紹介し、提供するという迫力なり、
何かこれというものが是非欲しいところです。