フェイスブックを勉強しながら、映画「ソーシャルネットワーク」を見ました。
映画の内容は使い方には全く関係ないのですが、裏話としては面白いです。

「主人公は女性にビールを渡す際、男友達にするのと同じように、瓶ごと弧を描くように放り投げます。うまくキャッチできない女性は敏を割ってしまいます。彼のナードらしいコミュニケーションの不器用さを、瓶ビールというツールを使って表現した心憎いシーンでした。」…「この映画は現代のネット社会を扱いながら、実は昔から脈々と受け継がれてきた「求道者の生き方」について描かれた作品ではないかと思います。」哲学はランチのあとでp.75より引用

そこまで見るのですね。監督の演出です。
ところで、マークはフェイスブックに執着していたのだろうか。
確かにいつも冷静なマークが、資金を凍結されてフェイスブックがトラブルを起こしそうになったときには、烈火のごとく怒りましたが、その裏では幸運にもスポンサーを見つけていたので、あの怒りも演技だったのではとも思います。終始冷静な態度に演出されたそこにオタクの技への自信が感じさせられます。そんな人がゴロゴロいるハーバードってやっぱりすごいところなんですね。白熱教室ではそうは見えなかったけど…。

「日本での『オタクの定義』が、尊敬と畏敬を含むものへと変わったと思います。オタク、恐るべし!」(同引用)

アニメとかでは世界をリードしていますが、経済が破綻しようとしている今、自分は常々、日本を救うのはオタク文化しかないのではと思っています。オタクは経済の原理で動きません。少ない報酬でも好きなことをやらせてもらえればそれを極めて行きます。価値のものさしが変わるのです。今、日本に必要なのは各分野のオタクです。特に政治オタク。政治ブームを仕掛けて早くオタクを見つけないと、本当に日本は沈没してしまいます。(仏教オタクも出てくれば、既成の仏教が危機感を持って動き出すと思います。力のあるオタクが出現しても、どちらも権力との駆け引きが難儀なところです。)
 
しかし、フェイスブックは勉強すればするほど、というか使えば使うほど、その影響力には驚かされます。

でも、??。マーク・ザッカーバーグの頭はどうなってるんだろう。ニュースフィードとウォールの違いが分からない。使い分けが分からない。そんな簡単な事が分かりません。

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「日本が沈没してしまいます」と書いているとき、必然的にイメージしていました。
小松左京さんが亡くなりました。全くの偶然ですが、何か感覚に来るものがあります。