久しぶりの聴聞
祇樹給孤独園について 

インドのシュラーヴァスティーにスダッタ(須達多)という、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者(anathapindada)」と呼ばれていた富豪がいた。
 ある日、スダッタは釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。 そして見つかった土地が、ジェータ太子の所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、ジェータ太子が「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と戯れで言った。しかしスダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェータ太子は驚いて、そのまま土地を譲渡し更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。
 これ故、この僧園はジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎を祇樹給孤独園精舎と称するようになった。

このエピソードは有名なので知っていた方も多いと思います。
そこから、阿弥陀経の六事成就の話に
六事成就とは、
1、信成就(如是)        「このように」
2、聞成就(我聞)        「わたしはきいた」
3、時成就(一時)        「あるとき」
4、主成就(仏)         「仏が」
5、処成就(在王舎城など)    「どこどこにおいて」
6、衆成就(与大比丘衆若干人倶) 「どんな人々と」
このことが揃って初めて経典といいます。
祇樹給孤独園は阿弥陀経の処成就を満たしています。
そんな話の余談で、
「いつまでもあると思うな…」何?という問い掛け。
ヒント
「いつまでもあると思うな親と何?」と再度の質問。
 
みなさんは分かりますか?
 
ことわざを調べればわかるとおり
普通「いつまでもあると思うな親と金」ですね。その意味は、
親と金はいずれなくなってしまうので、親は生きているうちに孝行を尽くすべきだし、金は思いがけない出費の時のために備えて、倹約を心がけるべきという、自立と節約を促す諺。
ここでの余談ですが
「親孝行したいときには親はなし」ということわざもあります。
この後にワンフレーズ続くということも知りました。
「したくないのに親がいる」ではないですよ。
「石に布団は着せられず」だそうです。
墓石には布団を掛けられないという意味で、親孝行しようとしても死んでしまってからではもう遅いということ。
ことわざは奥が深いですね。
 
ところで、
「いつまでもあると思うな親と何?」という真宗の住職の質問の答えは、
 
「いつまでもあると思うな親とわれ(我)」でした。
思わぬ出費の時のために備えて、倹約を心がけるべきということも
我あってのこと。いつ消えるかわからない我を思わねば、
いくら金があってもその金に惑わされるということ。
面白く聴聞させていただきました。