ちょっと疑問が…。
美しい隣人」or「美しき隣人」どっち?
 
TVタイトルは「美しい隣人」です。
でも、「美しき隣人」と覚えてる人も多いようで、自分もそうでした。
特に「美しき天然」と似ているので「美しき」となってしまいます。
これは人間が古いからでしょうか。「美しい隣人」というのはどうも言いにくい。
ただ、よくよく考えてみると、形容詞の活用は
未然形−かろ
連用形−かっ・く・う
終止形−い
連体形−い
仮定形−けれ
のはずで連体形は「美しい」になるので良いのではということになる。
では、「美しき」は何処から来たのか?
古典日本語の形容詞の活用という説明があり、そこにはこう書かれていた。

形容詞のうち、「新しい」「美しい」「凄まじい」のように、連用形の語尾が「しい」又は「じい」で終わる語群がある。これらは現代日本語では文法上の差異は存在しないが、文語においては終止形以外の活用形に違いがあった。連用形の形からこの活用をするものを「シク活用」、これ以外のものを「ク活用」と言う。

未然形ーしく
連用形−しく
終止形−し
連体形−しき
已然形−しけれ
となり「美しき」が出て来る。
「美しき青きドナウ」「美しき天然」「美しき日々」など歌やドラマのタイトルに「美しき」は
よく使われてきました。情緒に訴えるとき重く深い感じを与えるような気がします。
「美しい」では軽い。
古典の日本語が現代に使われているのにはそのようなワケがあるのでしょうが、
ここに来て「美しい隣人」とあえて現代活用になりました。
時代なのか?
自分はそのニュアンスには差があるように思うので、
強いて「美しい」を選んだ理由を聞いて見たいです。

自分たちの年代(自分だけかも知れないが)は「美しき隣人」と言った方がしっくり来るし、
検索でもかなりの人が間違って「美しき」で書いているところをみると、
「隣人」という語を修飾する場合には「美しき」がまだ一般的なのかも知れません。
 
こう書いてきてちょっと分かったことがあります。
「美しき隣人」は美しいのが主体で、美しいことが強く打ち出され、「美しい隣人」の場合は隣人の方が主体でそういう人の意味合いが強く出ている。このドラマの場合仲間由紀恵が演じる「隣人」に強くスポット当てるため「美しい」とした、
とこう考えてみても、まぁどうでも良いことのように思えてきました。
ドラマ「美しき隣人」はこちら。http://www.ktv.jp/rinjin/index.html