下下品の講義を聴いて、
下下品の自分でも救われるからそれで良いとか、
念仏さえすれば助かるとかではないと思いました。
こんな自分になりたいという「行」とかはやっぱり必要なのでは。
拘らないとか、怒らないとか、威張らない、焦らない、腐らないとか、
そのようになることは目指すべきだと思います。
そして、非常な努力をしなければできないことを、
当たり前に出来るようになったとき、
「あなたはあなたになった」というのではないでしょうか。
これは、ほんの少しずつの絶え間ない「行」の達成で、
「あなたはあなたに成り続ける」のです。
その結果が、「あなたはあなたになる」
ということなのではないかなどと思ってしまいました。

未来に希望が無ければ「修行」など絶対に出来ません。
 
多分人間にとっての「修行」とは、
役に立つ訓練と同じ意味を持つのでしょう。
人間の「修行」は役に立つのです。

本来、仏になる「修行」は、
人間世界では役に立たないことなのかも知れません。

「行」(本物の)など出来ない煩悩熾盛の身。
 
さぁどうしますか?