「死者についてあれこれ推察したり勘繰ったりして思いをめぐらせてしまうのは、残された者のエゴなんだと思います。でも結局残された者にできることは、亡き当人に思いを巡らせることだけなのかもしれません。」
 先日葬儀のあった住職は、どれほど自分のことを思ってくれていただろうか?生前の勉強会は楽しかったと思ってくれていただろうか?報恩講の案内は毎年必ず届いていました。でも、それに応えることはできませんでした。
 
「感応道交」ということ、仏と通じ合う前に、現実の師と気持ちが通じ合うことが無ければ、と再認識させられた次第です。