今年初めての聴聞です。
御文は五帖目の二通。「それ八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を愚者とす。
たとい一文不知の尼入道なりというとも、後世をしるを知者とすといえり。しかれば、
当流のこころは、あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたりというとも、
一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。」

後世をしるを知者とすといえり。
なかなか分からない言葉です。"後世をしる"とは説明できるでしょうか? 
 
何で長生きするの?何のために生きているの?どこへ向かって生きているの?
どれ一つの問いにも答えられない。これは、聴聞者みんながそうである。
 
心の冷たい人からはみんなが離れていく。長生きして孤独になっていく。
蓄える生き方は、人間を畜生に変える。そして、餓鬼となり地獄に落ちる。
地獄とは漆黒の暗闇である。不安の連続に生きていることを言う。
 
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」を常に念頭において
感謝の日々を過ごすべきである。それが南無阿弥陀仏の功徳である。
 
寺は病院、我々は病人である。娑婆では誰もが不治の病に罹っている。
六字の名号は薬。
病気と思っていないものが、薬をもらっても飲むことがない。
まして、有りがたいとは全然思わない。
 
有りがたいことは、何かをいただけるときだけ。
本願は、平等覚の世界(如来の世界)。平等とは如来から頂いている心が平等ということ。

仏法頂くと、たのめなかった自分が、たのみ続けていけるようになる。頭が下がるということ。
やれることを喜べるようになる。
何かのためにやっていると、やったことに苦しめられるよ!

これが「無碍の一道」ということです。後のことは弥陀にまかせよ。

南無阿弥陀仏。良き場、良き朋、良きご縁に感謝。         合掌