喪中はがきがたくさん来ます。なぜ喪中だけ年賀を控えるのか。それほど真剣に考えたことはないのではないでしょうか。
先日、お店のトラの匂い袋を喪中だといって、断られたお客さまがいました。
自分は、喪中だとしてもいつもと同じように変わらずで行きたいと思います。
 
家人が亡くなったので残された家族が喪に服している期間。古来日本では死は穢れているものとされてきた。つまり死者を出した家は穢れているので、他の家に災いをもたらさないように、喪に服している間は家を出てはいけない、神様に接してはいけないというルールがあった。それで喪中の家の人は年賀状を出してはならないなどといわれるが、仏教では死は穢れたこととしないし、もちろん年賀状の習慣は近年のもので、関連性は薄い。はてなキーワード「喪中」より

あれ?年賀状は出してはならないのであって、受けとってはならないとはなっていません。他の家に災いをもたらさないようにとの心使いがあれば本当にうれしいことですね。そんなことよりもっと別のことで実害をもたらしていたら本末転倒。また、「喪に服している間は家を出てはいけない」はまもらないのでしょうか?
 
葬式に清めの塩を用いないのと同様に、真宗では年賀状も例年通りでかまわないとしないと整合性がとれません。塩は止め、年賀状も止めでは面倒なことはみんなやめましょうというのと等しいような気もします。

ただし、年賀状の場合は、家族が亡くなったのに残された人が目出度く新年をお祝いすることに抵抗があるのかもしれません。しかし、それも考えようで、昔は葬儀に往生を喜んだとも言われています。こんな現代だからこそ、真宗のお寺は亡き人の往生を新年に祝ったらどうでしょうか。