寺院数の一番は愛知県で4,111ヵ寺、二番が大阪府で2,993ヵ寺、三番が京都府で2,643ヵ寺、多いと思われる奈良県が19位で1,415ヵ寺。愛知県は圧倒的に寺院数が多い。寺を一言でどんなものかと言えば、「往生極楽の道(本当の幸せ)に往き会わせて頂くところ」と言える。
 聴聞をテーマにお話するが、「聴」は許されて聞く「聞」は信じて聞く。中秋の名月を見ながら秋の虫の鳴き声を聞く。鈴虫、松虫の声を聞くとき真宗門徒は命を掛けて念仏を伝えてくださった先達の思いを受け取らなければならないのでは。
 住蓮房の辞世の句「極楽に 生まれんことの うれしさに 身をば仏に まかすなりけり」
 安楽房の辞世の句「今はただ 云う言の葉も 無かりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかには」
 
南無阿弥陀仏=帰命尽十方無碍光如来=自分に目覚めよ
自分を知るということがいかに難しいか。知っているつもりで如何に見つめていないか。それは、自分が毎日使っているご飯茶碗の絵柄を思い出せないのと同じ。お蔭様を意識できないで、幸せになる道は無い。
無量寿経の五悪段 父母の恩も惟わず 師友の義も存せず。
 
極楽浄土はどこにある。
過十万億仏土(小経) 一仏土は10万光年だそうです。 しかし、十万億仏土を過ぎてと取らずに、過十万億仏土を超えてととらえる。
すると、去此不遠(観経) 近いと遠からずとの違いは、遠いことを意識しているかどうか。遠いけれども近い。
不遠の三義
 分斉不遠 去時不遠 観見不遠

ネットで調べてみたら
①分斎不遠 この私が行ける世界 行けない場所は隣でも遠い この私がこのままで行ける世界
②去時不遠 思い立ちさえすれば行ける世界 思い立ったときただちに行ける世界  一念で行ける距離(時間)
③観見不遠 観 ありのままに見る行 我々は自分の経験をもとに見る 観仏→行  解釈を破ってものを見ることが大切
      見 仏を解釈するのではなくそのものが私の中に現れる 見仏→証
ということらしいが、ちょっと難しかった。「今、私が、ここで、仏に会うことができる」=不遠ということ。
 そんな教えを亡き人(戦没者追弔法要)を縁として現代まで相続してきている。「往生極楽の道(本当の幸せ)に往き会わせて頂くところ」で精出して聴聞して欲しい。