先日、ご法話で「最近のお坊さんは、『させて頂いております』という言い方をしすぎると師匠に諭されたという話をされました。「させて頂く」は謙虚な言い回しですが、お師匠さんが言うには「して下さった」と言いなさいと言われたとのことでした。
 その違いが何か、始めはその説教師さんも分からなかったそうです。意図することは、「させて頂く」と「して下さる」は、その主語が違ってくると言うのです。
 「させて頂く」のは私が主語ですが、「して下さる」はあなたなど私以外が主語になります。「させて頂きます」は謙虚なようでも、知らず知らずのうちに、私が頭をもたげてきているのだということです。
 そう考えると、「生かさせて頂いております」という言い方は、「私は、皆さんのお蔭で生かさせて頂いております」と私本位の心ということであり、「生かして下さっております」のように考えると、皆さんが、仏法が、世のすべてが生かしてくださる働きだと、自分以外を喜べる心になるようにも思えます。
 しかし、この分析は極端で、「生かさせて頂いております」の中にも当然、他への感謝の心が入っているとは思いますが、改めて考えてみると面白いなぁとも思います。
 いろいろな角度から見られる能力を養うと、同じ現象が深く味わえるようになります。仏法とはそんなお味わいを頂けるようになるエネルギーのようなものだと思います。仏法が私を育てて下さったと言えるようになれると嬉しいのですが…。