丸山健二著『生きるなんて』巷にはびこる建前論を極端なまでに拒絶し本音で語る「丸山流辛口人生ノート」
 第1章の「生きるなんて」のつづきです。
 
 他方、本能にどこまでも忠実に生きる道ではなく、人間を人間ならしめている精神性に狙いを絞り、より格調の高い人間として生きてみたいと望んだりすればどうなるのでしょう。
 そんなあなたの行く手にはたちまち暗雲が漂い、越えられそうにない高い障壁がいくつも立ちふさがり、そっちへ視線を転じただけでめまいを覚える羽目に陥るでしょう。想像しただけで気が重くなり、うんざりし、途轍もなく厄介な、面白くも何ともない世に生まれついてしまったものだという過酷な現実に気がつき、ただ生きているだけで楽しいはずだった青春に突然暗雲が漂うことになります。
 進学、就職、健康、容姿、恋愛、結婚、対人関係、自立の責務、おとなの自覚、生き甲斐の有無―。
 不安の材料ならばごまんとあるくせに、少年少女時代には無数にあった、あの希望の星は、いつの間にかことごとく消滅しており、独りぽつねんと暗闇のなかに佇んでいる自分の孤独な立場に驚き、ひたすら戦(おのの)くばかりです。
 いくらか正気に戻り、あらためて周囲を見回すと、愛と優しさに育まれていたはずの自分が、生きんがための生存闘争に明け暮れる野獣の世界に投げ出されていることに、はたと気がつくのです。
 食うものと、食われるもの。
 支配するものと、支配されるもの。
 労働者と、統治者。
 あなたは、弱肉強食の関係だけで成り立っているこの世と地獄の境を指摘するのはほとんど不可能であることを翻然と悟り、そして愕然となるでしょう。
 大方の人々は、九割か、それ以上の数の人間は、そお誕生と同時に、他者に食われ、他人に支配される側に放り出されているのです。出発点においてすでに、極めて不利で、極めて不愉快な立場に立たされているのです。しかも、これまたほとんどの場合、その状況は基本的に生涯の終わりまで変わることがなく、滅多なことでそこから脱出できるものではありません。
 つまり、どう悪戦苦闘し、どう足掻いてみたところで、こうした世界のなかにあっては大抵の夢が夢のまま萎んでしまい、はっと我に返ったときには、夢の残骸にすがり付いた憐れな高齢者になってしまっているのです。そして、おのれの一生を振り返って、こんなことをそっとつぶやきます。
 
 「ああ、人生なんてこんなものだったのかあ。もっと何かあるはずだと思っていたんだがなあ」
 
 もしあなたが、他人を食って、支配する人間になる、どこまでも欲望に沿った、野獣そのものの道をためらいもなく突き進む決心をしたのなら、それはそれでまたひとつの確立した生き方と言うべきでしょう。拍手喝采を送りたいとは思いませんが、しかし、もしもあなたがその凄まじい険路を見事走破したのなら、残酷な世に適合した資質の持ち主であり、自然淘汰の原則に忠実に従う生き物として格段に優れていたことは認めてもいいでしょう。
 ですが、そうなるまでに、また、そうなってからも、あなたが払う犠牲は計り知れません。ありとあらゆる後ろめたさやら罪悪感やら自己嫌悪感やらを背負い、敵の数を日ごとに増やし、社会的な成功につれてひどくなる心の渇きと日夜闘い、別の強者の影や転落の足音に怯え、しまいには誰ひとり信じられなくなり、孤独な身の破滅を迎えるわけですが、そうしたいつ果てるとも知れない緊迫感を面白がるような、タフな野獣人間は、神や悪魔に匹敵するほどの人間がいないのと同様、皆無なのです。
 それでは、他者を食うことも他者に食われることも避け、支配することも支配されることもしないで済まされる、そんな理想的な道が果たしてこの世に存在するのでしょうか。有るとは断言できませんが、だからといって無いとも言い切れません。要するに、そうした争いのない道を発見できるかどうかは、すべてあなた次第ということなのです。
 (明日につづく)