2009年青少幼年問題学習会に参加して。
 講師の小沢牧子さんの話を聞いて、社会的な根本的なシステムの問題に言及していることが分かった。
 「心のケア」の爆発的な広がりは1990年代の新自由主義の台頭に端を発している。「心の専門家」の言葉は1985年に河合隼雄さんが使ったのが始まりらしい。この「心の専門家」には宗教家は入っていないとのこと。
 「心のケア」という言葉には、よくわからないけど何か良いものというイメージである。先生は昔1時間のカウンセリングを受けて、何か分かったような気になったという。その内容は、問題は自分自身にあると自然に思えたというものだった。しかし、何か変と感じたという。カウンセリングは自己反省的なおとなしい人間を作るもの、新自由主義の自己責任に結びつくものだと思ったという。
 「心のケア」とか「個性的」とかには胡散臭いと感じる。心理学者が財界人と密接に関係していることもあり、経営者は耳で聞くだけ、労働者には言わせて不満を解消させる、その手法は経済界で最も多く利用された論文でもある。結局、「心のケア」も今となっては職業であり、商売として利用されている。
 文科省の指導で学校にカウンセラーを置こうとしたりするのも、カウンセラーの働き口を広げるための方策で、政治の力も働いている。もともと、個室のカウンセラーを置くより、教室の先生を充実させたほうが良いし、心を傷付けられてからカウンセラーのお世話になるより、根本の問題を片付けることが先決。
 すべてが新自由主義の時代の、競争主義、評価主義の悪影響である。
 ということで、あまり社会の情報を信用しないで自分で考えなければならない。余談として、
 新型インフルエンザもメキシコでのメーデーに大集会が予定されていたのを阻止するための情報操作ではないかとも言われているとか、ソマリア沖の海賊はソマリア沖が核廃棄物の廃棄場所になっており、漁師が魚を取れなくなって生活できないために海賊になっているとか、興味深い話が聞けた。もちろん、嘘か本当かわからないことだが、インターネットのニュースなら載っていることもあるという。
 最後に、今の子供たちが笑うことが少なく、おとなしいのが気になるということでした。それについては、座談会で大人に元気がないので子供も元気がないのではという意見もでて、大きな声での挨拶の実践は良いことだと早速実践する柔軟さも見せてくれた。
 小沢先生の意見には、非常に同調できるところも多く、楽しく講義を聴くことができました。また、聴く機会があれば出席したいと思います。