また1日飛んでしまいましたが、昨日は大浜地区の子供花祭りに行ってきました。子育てが終わって(一番下が今度高校生)しまうと、小学生以下の子供たちの様子を見ることも少なくなってしまい、約1時間強花祭りで子供たちのその様子を見ているといろいろ分かって面白いものです。

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 「安楽房遵西」のキーワードでこちらに来た方がありました。
 昨日から中日新聞の「親鸞」が「法然上人の目(一)」という新しい章に入って、そこに安楽房遵西が出てきたからでしょう。
 安楽房は、いつも念仏の集まりのときに美声で人々を酔わせる唱導の名手であり、善導大師が作った詩文に巧みな曲をつけて、人々に教えた多才な僧です。
 また、安楽房は書の才能も豊かな人だったようで、その達筆さから、『選択集』を撰述するにあたり、当初選ばれて執筆の役にあたったが、第1章より第3章私釈段の「能会瓦礫変成金」に至るまでを執筆した後に、「私は人より字がうまいからこの任にあたれた」と喜んだのに対し、法然上人は、驕りの心が起こったとして、第3章の途中からはその任を感西に代えてしまったという。
 音楽的才能に恵まれ、同門の住蓮とともに六時礼讃に曲節をつけて念仏の信者たちに合唱させ、専修念仏の普及に大きな役割を果たした。
 1207年(建永2年・承元元年)、後鳥羽上皇の女房たちと密通をはたらいたという嫌疑をかけられ、弟子の僧と共に六条河原で斬首に処せられた。刎首に先立って羅切された話は有名。この事件は、法然が讃岐に配流され、親鸞が越後に配流された承元の法難の直接のきっかけとなった。

 そんなエピソードを耳にして、非常に共感の湧く高僧の一人です。今後、五木寛之氏がどのように描いていくのかが楽しみです。