津本陽著「不況もまた良し」
 この本は大分前にブックオフで見つけて積んどく状態になっていた。
 先日、商工会議所の講演会を聞きに行ったときに、みんな「不況もまた良し」という言葉を口にした。あれどこかで聞いたことがある言葉だと思った。そう、机の上に積んである本の題名だ。しかし、よく聞くと「不況もまた良し」と言った人がいて、その人こそ経営の神様、松下幸之助だとはじめて知った。そこで、本を取り出してみると、表紙の題名の左上に顔写真が載っているではないですか。この本は松下幸之助の一生を小説にしたものだったのだ。
 そんな縁で、この本を読み始めたのだが、知らなかったことも多く結構勉強になる。100頁まででもかなり印象深いところがあったのでちょっと引用してみる。
 『幸之助は、人間はそれぞれ固有の運命を抱いて生まれてきたという。
 自分の運命に素直に従えば、これでいいのだというあきらめと、よろこびと安心が生まれてくる。
 その考えは、余人がつき崩せないほど強い。自分はこのような運命のもとに生まれてきたのだから、それに素直に従ってやっていこうと思いきめたときの気分は、非常に強いものである、と彼はいう。
 ところが、自分が運命に動かされていると考えないで、わが意思によって何でもできると考えれば、かならず迷いが出て、苦難の道に踏み込むことになる。
 その結果、思いがけない災厄を招き、人にも不幸を与えることになるようだ。
 幸之助は、そのような人生観を、いつからか確立させていた。わが運命に従い、素直にはたらいていても、迷いは出てくる。彼は迷いにも、素直に身を任せていた。』

 わが意思によって何でもできると考えて行動すると、かならず迷いが出て、苦難の道に踏み込むことになる、までは法話でもよく言われるが、「その結果、思いがけない災厄を招き、人にも不幸を与えることになるようだ」というところが自分には新鮮だった。全くその通りだろう。
 『松下電器が十回の営業所長会議を経て、昭和四十年春からスタートした新販売制度の成果が、どうあらわれるか、幸之助は不安のあまり、毎晩数珠を手に念仏を唱え、心を静めようとした。』とあるので、浄土系宗派の信者(門徒)だったのだろう。
 借金した金が余ればほうぼうへ遊興に使うようになる。『これは結果として、社会悪の増進になる。町なかを昼間に通ってみると、パチンコ屋は満員や。隣の店では汗を流して荷造り仕事をしているのに、パチンコ屋では大勢遊んでいる。これが日本のいま(昭和36年)の姿や。
 これは、経済界のどこかにゆるみがあるためや。あるいは政府の政治姿勢にゆるみがあるところから、こうなったと思う。そんな世間の風潮が、われわれにも影響してきて、販売会社、代理店の不振になってきてるのやと思う』

 今も昔も変わらないなあ、と思う。
 『こんなやりかたをしたら失敗するんだな、こんなやりかたをしたら成功するというさまざまな事例が、手にとるように分かってくる。そうして時々刻々、得難い教訓をうけているというのである。
 「そういうことを年々積みかさね、事業を進めてくると、信念というべきものがうまれてくる。事業というものは失敗しないのがほんとうで、失敗するのは、何かがまちがっているためだ。失敗するにはその原因がかならずあるんだから、その原因をつくらないかぎり、成功の一途を辿るという信念である。」』

 すごい信念である。
 お寺さんでも、自分が印象深く覚えていることを言われた方がおられる。「仏法のことで失敗ということはない。」これはこれで、松下幸之助と同じくらいすごい信念である。自分にとって、今でもかなりの力となっている。