ふと、2/13が金曜日だなと思いながら、昔のことを思い出していた。小学校6年生の時に英語を習いに行っていた塾の先生に、一年の曜日がすぐにわかる方法を教えてもらった。それが今でも使えるのだ。うるう年でなければ3月も11月も13日の金曜日である。
 小中学校を通じて便利だなと思えるのはこれだけであり、義務教育の9年間に、先生に何を教えてもらっていたのだろうと考えさせられた。
 その塾の先生には、英語の教材として、サイモン&ガーファンクルサウンド・オブ・サイレンスを教えてもらったり、その流れで映画「卒業」を見てダスティン・ホフマンを知ったりした。それが、今でもこころの支えになったり、役に立ったりしている。
 会社に入ってから、自分でアルクに通ったときにも、岩村圭南先生の授業は感動だった。
 そう考えると、何かがあったはずなのに、16年間の学校生活で心に残る先生もないし、教えてもらったことも残っていないのである。これはこちら側に全責任があるのだろうか?
 確かに勉強は教えてもらったが、大人になって残るものがないということは、先生の授業が画一的で、余計なことは教えてはいけない環境だったからかも知れない。愛知県というところは一番管理教育が進んでいたところである。その中でマインドコントロールされてただ知識の勉強をすれば良いという、その無意味さを今さらながら感じている。