週刊ポスト上野千鶴子「男の向老学」講座を読むと、男が老人になるということがいかに空しいかが溢れ出ています。好きなことを一人で楽しむことを、老後の唯一の自慢のように話す老人たちに、あこがれとかうらやましいという気持ちが出てきません。今ふと思い出しましたが、一時期いいなぁとあこがれた大橋巨泉氏もあまり楽しそうには見えません。持てるもの恵まれているものに対する僻みかも知れませんが、「自由気ままでいい」と言う実体験報告も強がりのようでいまいちです。やはり「老い」というものは平等におとずれて、青春を謳歌したものほどその谷の深さは深いのではなどと勝手に思ったりしています。
 一つ、野末陳平氏の言うことはなるほど一理あると思いました。「そもそも、きちんとした老後の備えがないと、“おひとりさま”は楽しめない。この歳だと、特にそう思う。」と自宅を売って滋賀県にケア付き老人ホームを購入したそうです。「うちは子供がいないから、前々から老人ホームは買おうと思っていた。老老介護は大変だからね。買ったところは、毎日、琵琶湖を眺めながら過ごせる。今は無駄なカネを払っているけど、精神的な“保険”になっている。先の心配がないから、今を楽しめるんだ。
 先の心配がないから、今を楽しめるんだ。これは真実でしょう。浄土を見つめる鎌倉時代の庶民はそこに救いを求めたのだと思います。現代の余裕の無い人は、浄土にも活路を見出せず、老後も不安でいっぱいという所でしょうか。これは老後の楽しみ方を、自由気ままに好きなことをして過ごせると思ったところに間違いがあるのでしょう。
 上野千鶴子氏は言います。「定年後、“おひとりさま”になった男性は現役の後輩に電話をしたりしますが、煙たがれるのが相場です。楽しんでいる男性の多くに共通するのは、脱血縁、脱地縁、脱社縁の欲得のない人間関係を築いていることです。私はこれを『選択縁』と名付けています。」
 この選択縁は〈選択、加入脱退が自由で、包括的コミットメントを要求しない、選び合う関係〉と定義することができます。会社時代の友人や家族に頼っていては老後生活は成功しないと言う。男が「選択縁」の中で上手くやっていくコツについて、上野氏は続ける「私が見るかぎり、男は利害得失から離れた集団の中でも、“序列”を作ろうとしてしまう。会社と同じ、覇権ゲームです。競い合っている相手に愚痴や弱音を吐けるでしょうか?老後に必要なのは、困っている時に『寂しい』『助けてほしい』といえる“弱さの共同体”なんです。」
 この「こころの寺 ひとり一カ寺運動」は、〈選択、加入脱退が自由で、包括的コミットメントを要求しない、選び合う関係〉を満たし、老後の困っている時に『寂しい』『助けてほしい』といえる“弱さの共同体”としては最適です。
 
 皆さんは老後の準備できていますか。