1/17(土)付新聞に「信じるということ (上)」と題して加藤智見師の文章が載っていた。「宗教を信じれば、本当に幸せになれるの?本当にそうだったら信じてみたいんだけど…」とたずねられることがよくあるそうで、そんなときには、「お気持ちはよくわかるが、正直申してちょっと虫がよすぎるご質問であるとお答えせざるを得ない」と答えていると言う。非常にわかりやすくまとめてあるので、少し引用させてもらうと、
 「宗教や信仰はそんなに都合の良いものではなく、むしろこのように都合よく考えたいご自身の身勝手さを捨て、謙虚に自分を反省することから始めなければならないのである。
 戦後の教育を受けた私たちは科学主義・経済至上主義のもと、ひたすら知識を詰め込み、頭だけで考え、物の豊かさを追い求めてきた。心の教育はほとんど受けてこなかったし、心の問題などを考えていては時代に取り残されてしまうような時代でもあった。その結果、自分の頭だけでものを考え、人の気持ちや心をあまり考えない高慢な自己中心主義におちいり、効率の良い便利さだけを追求する便利主義者になってしまった。
 自己中心主義やすぐに役立つものだけを求める便利主義で仏や神、浄土や天国、幸福などを考えても、結局はわからないのである。これらの問題は心の問題であり、自己の欲望を離れ、まず自分を徹底的に反省し、ありのままの自分の心に立ち返ったとき、始めてわかりはじめるのである。」
 「考えてみれば、私たちは自分の意思や力でこの世に生まれてきたわけではない。なのに、こうして生きている。何もするわけではないのに、暖かな太陽に照らされ、美しい花々に囲まれ、人の善意を受けている。無力であるのに不思議な力に支えられているのだ。このような力の奥に大いなるものの存在を感じ、親鸞やルターのように、その大いなるものと信頼関係を結び、新たなる人生の再出発をしようとするのが宗教であり、信じるということである。」

 「大いなるもの」については次回1/24(土)に具体的に触れるそうです。